【長崎・五島列島】島そのものが世界遺産!久賀島。

国内
この記事は約14分で読めます。

つぼです。黄金週間は五島列島へ行ってきました。

この記事では、今回の旅で訪れた久賀島(ひさかじま)について書いています。久賀島は島そのものが世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産なんです。

関連記事として、昨年(2021年)同時期に訪れた野崎島に関する記事のリンクをつけておきます。

久賀島とは

久賀島とは

久賀島(ひさかじま)は、五島列島の中では福江島、中通島に次いで3番目に大きい島です。

2019年の人口は約300人。40年くらい前は約4000人が暮らしていたそうです。

島そのものが、久賀島の集落として、世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』を構成する12の資産のひとつになっています。

長崎県世界遺産課が発行しているガイドブックはこちら

久賀島へのアクセス

久賀島へは福江島から船で行くのが一般的です。

船は木口汽船が運航しています。

福江から久賀島の田ノ浦まで、シーガルで約20分です。奥浦発着のフェリーひさかもあります。時刻表や運賃などは木口汽船のウェブサイトでご確認ください。

五島の教会めぐり久賀島へのご案内[木口汽船]
五島列島の福江島と久賀島、椛島間の連絡船を運航しております。教会ガイドもしております。五島の教会めぐりなら木口汽船にお任せください。

また、奥浦から海上タクシーで行くこともできます。

レンタサイクル(GOTOCHARI)

久賀島の見どころを回る観光ツアーなどもありますが、私は自転車で回ることをオススメします。

福江港ターミナルビル内で、レンタサイクル(GOTOCHARI)を借りることができます。乗船前に借りて、船に持ち込むのがいいでしょう(自転車持ち込み料がかかります)。

レンタサイクルの利用料金は次の写真の通りです。詳細はこちら

久賀島の風景と見どころ

田ノ浦港

シーガルで田ノ浦に到着しました。

この先は、田ノ浦港から旧五輪教会堂までの風景と見どころを順番に書いていきます。

田ノ浦港に、島内の主要な場所までの距離が書かれた標識があります。一番の見どころとなる旧五輪教会堂までは14㎞です。

浜脇教会

初代の教会堂を五輪地区へ移築した後、1931年に建てられた五島で最初のコンクリート造りの教会です。高台に建ち、船からも見えるので、島のランドマークになっています。

潜伏キリシタン資料館

潜伏キリシタンの子孫らが中心になってオープンした資料館です。かつて島で起きた過酷な弾圧の歴史や信仰を守り抜いた先祖の姿を伝える資料が展示されています。

内上の杜ミュージアム
2018年12月13日、五島市久賀町に潜伏キリシタン資料館がオープンいたしました。

私は時間がなくて寄ることができませんでした。

久賀地区

ここは久賀島の中心となる集落です。

久賀島で唯一開校している久賀小中学校の前に、 久賀島内唯一の信号があります。

久賀島観光交流拠点センターに電話で問い合わせたところ、久賀小中学校で学ぶ生徒は小学生と中学生が各5名で、この10名はいずれも島民の子どもではなく、諸事情により島外から来ている子どもたちとのことでした(2022年5月時点)。


アフリカミュージアムという離島に馴染まない(?)博物館があります。

閉まっていたので見学できませんでしたが、ここには久賀診療所で働く黒須良玄医師が25年以上の海外勤務の間に収集したアフリカの彫刻や仮面など約100点が展示されています。


心和む風景です。

牢屋の窄(さこ)

牢屋の窄は久賀島と潜伏キリシタンを語る上で重要な場所です。「窄」は「さこ」と読みます。すぼまっていること、縮まって狭くなっていることを意味します。

禁教下の1868年(明治元年)、久賀島の潜伏キリシタンらがキリスト教の信仰を表明したことから、200名余りの信徒が捕らえられました。捕えられた信徒らは、わずか12畳の牢屋に押し込められ、8ヶ月間、食事もろくに与えられず、排泄もその場で行い、死体も放置されるなどの苦難を耐え忍びました。この事件では、飢えや病、拷問などで42名が殉教しました。

この事件は「五島崩れ」と呼ばれる五島におけるキリシタン弾圧のきっかけになりました。

1984年、実際に牢屋があった場所に教会が建てられました。教会内部は当時の牢の広さが分かるように床が色分けされています。教会のそばには殉教者の年齢と名前を刻んだ信仰之碑があります。

折紙展望台

久賀島の北東部に、島民が手づくりした折紙展望台があります。2006年、折紙展望台は国土交通大臣表彰の「手づくり郷土(ふるさと)賞」の地域活動部門を受賞しました。詳しくはこちら

折紙展望台へは、久賀島の主要道路(長崎県道167号線)の脇道から1.4kmの坂道を上がります。

自転車だと結構キツイですが、必見の場所です。

だって、この絶景ですよ!

蕨(わらび)地区

折紙展望台から旧五輪教会堂へ向かう途中、集落が現れます。蕨(わらび)地区です。この辺りは、かつて漁業で栄えたそうです。

集落の中では、廃屋もちらほら目にしました。過疎化が進んでいるようです。

2009年に閉校した蕨小中学校の記念碑がありました。

旧五輪教会堂への道のり

田ノ浦港から14km

先述しましたが、田ノ浦港から旧五輪教会堂までは14kmです。福江島で借りた電動アシスト自転車で向かいます。

あと5.1km

蕨地区のこの交差点から、旧五輪教会堂まで5.1kmです。


途中で山道に入ります。旧五輪教会堂まであと3.4kmです。


島内でよく見た紫色の花、ノアザミ。棘棘(とげとげ)なので、取り扱い注意です。

あと500m

いよいよ、旧五輪教会堂まで、あと500mです。この先は車両の進入が禁止なので、自分の足が頼りです。

ちょっとしたハイキング気分で歩きます。

このトンネルの先が五輪地区。五輪教会と旧五輪教会堂が見えてきます。

五輪教会

歩いてきて最初に現れる建物が五輪教会です。旧五輪教会堂の老朽化により、1985年に建てられました。

後で登場する坂谷さんによると、五輪教会が建っている場所には、昭和30年代まで缶詰工場があったそうです。

旧五輪教会堂

五輪教会の先に旧五輪教会堂があります。1881年に初代の浜脇教会として建てられた木造の教会で、1931年、この場所に移築されました。

旧五輪教会堂は、明治初期の貴重な教会建築として、長崎県の有形文化財や国の重要文化財に指定されています。老朽化で解体される寸前に、島内の仏教徒の助言によってその価値が再確認され、解体を免れました。

教会内部も、歴史を感じさせる雰囲気が漂っています。

素朴なステンドグラスもあります。

五輪地区で暮らす坂谷さん

旧五輪教会堂の先に小さな漁港があります。

作業中の人がいたので話しかけてみました。五輪地区で暮らす坂谷さんです。

坂谷さんは、自作っぽい道具で漁網を直しながら、「五輪教会が建っている場所には、昭和30年代まで缶詰工場があったこと、当時は大勢の人で賑わっていたこと、坂谷さんが数年間の出稼ぎを終えて帰島したら缶詰工場が閉鎖されていて人も激減していて浦島太郎状態だったこと」などを懐かしそうに話してくれました。

坂谷さんは80歳とは思えない若々しさで、きっと長生きするだろうなぁと思いました。ちなみに、キリシタンです。


坂谷さんの話を聞いた後、改めて集落を歩いてみると、五輪教会の近くで廃屋を見つけました。

坂谷さんによると、缶詰工場があった頃は、この道沿いに家が建ち並んでいたそうです。

五輪地区を去るとき、家が建ち並び大勢の人で賑わう昭和30年代頃の景色を想像してみました。

坂谷さんの昔話を聞かなければ、そんな景色は想像すらしなかったと思います。

福江島のオススメ食料・みやげ物

堂崎マドレーヌ

久賀島には食事を提供する店がありません。小さな商店はありますが、食料や飲料は持参するのがいいでしょう。せっかくなので、福江島でオススメの食料をいくつか紹介しておきます。


まずは、堂崎マドレーヌ。

堂崎教会のすぐそばにある菓子工房noko-nokiで、丁寧に手づくりされたマドレーヌです。福江港ターミナル内のみやげ店でも買うことができます。

かんころ餅

次に、かんころ餅。

かんころ餅は、五島列島の郷土食です。五島では、さつまいもをスライスし、湯がき、天日に干したものを「かんころ」といい、かんころと餅を一緒についたものが「かんころ餅」です。

五島ばらもん揚げ

最後に、五島ばらもん揚げ。

五島ばらもん揚げは、地元の浜口水産が、こだわりの無でん粉製法で、着色料、保存料、化学調味料を使わずに作ったすり身揚げです。

福江港ターミナルにある店では、揚げたてのばらもん揚げを買うことができます。朝7時から営業しているので、朝食にもオススメです。

浜口水産のオンラインショップはこちら

浜口水産の商品は、五島市のふるさと納税返礼品にもなっています。


【ふるさと納税】【新鮮な魚のジューシーな旨み】 五島ばらもん揚げ詰合せ (白天20袋・黒天20袋)おつまみ 海鮮 魚介 【浜口水産】[PAI005]

コメント