2週間の海外周遊手記の続きです。この記事では主にスペインのバルセロナについて書いています。
アンドラ・ラ・ベリャからバルセロナへ
アンドラ・ラ・ベリャからバルセロナへ
翌日11時発の高速バスでアンドラ・ラ・ベリャを去った。往路は乗客が少なくてガラガラだったが、復路は満席に近いくらいに混んでいた。
3時間余りでバルセロナの北バスターミナルに到着。北バスターミナルの近くにある凱旋門は、1888年に開催されたバルセロナ万博の際に、正門として建設されたそうだ。

地中海に面するバルセロナはスペイン最大の港湾都市で、旧港を再開発したポルト・ベイは港湾都市としてのバルセロナを感じることができる。

備忘録として、バルセロナに関する豆知識を記す。
- バルセロナはカタルーニャ州の州都で、首都のマドリードに次ぐスペイン第二の都市である。
- カタルーニャでは独自の文化、言語、高い経済力を背景に、スペインからの独立を目指す「カタルーニャ独立運動」が根深く残っている。
バルセロナのオーバーツーリズム
アンドラ・ラ・ベリャの1泊を挟み、バルセロナには3泊した。3泊とも宿を変えたが、いずれも中心部の便利な場所にある宿を選んだ。
バルセロナでもオーバーツーリズムが問題になっている。その影響もあって、バルセロナの宿は高い。中心部だと狭いシングルルームでも1万円/泊以上はする。
バルセロナの人口約165万人に対し、近年はバルセロナの中心部だけで人口の約10倍(1,500万~1,600万人)もの観光客が訪れているという調査結果がある。
観光客の増加が民泊の増加を招き、住宅価格や家賃が高騰し、住民が市中心部から追い出されているらしい。2024年7月には「観光客は帰れ」と叫ぶデモ隊がレストランで食事中の観光客に水鉄砲をかける抗議活動も起きた。
滞在中、私も随所でオーバーツーリズムを感じながら、時間と体力の許す限りバルセロナを見て回った。ざっと紹介しよう。
ガウディとモデルニスモ建築
「モデルニスモ」はバルセロナを中心としたカタルーニャ地方で19世紀末から20世紀初頭に流行した芸術様式。フランスのアール・ヌーヴォーと類似している。有機的な曲線美と豊かな装飾が特徴で、アントニ・ガウディの遺作「サグラダ・ファミリア」はモデルニスモ建築の代表としてあまりにも有名だ。

サグラダ・ファミリアは1882年の着工後144年経った今もなお未完成という壮大な建築物だ。1926年、告解に向かっていたガウディ(当時73歳)が路面電車にはねられて亡くなった後は、ガウディの構想を受け継いだ人々により、建設が進められてきた。
ガウディの没後100年にあたる2026年の2月、高さ172.5メートルの「イエス・キリストの塔」の頂部に高さ約17メートルの十字架が設置され、構造的には完成した。同時に、世界で最も高い教会になった。
この先、栄光のファサード(正面玄関)の装飾やそこから続く大階段の建設に10年はかかると言われている。

サグラダ・ファミリアは唯一無二の強烈な存在だが、他にもガウディの作品が点在しているのがバルセロナのスゴイところ。
アシャンプラ地区のグラシア通り沿いには高級アパートとして設計されたカサ・ミラがある。

カサ・ミラからグラシア通りをカタルーニャ広場に向かって歩くと、右手にカサ・バトリョが現れる。ガウディが増改築したバトリョ家の邸宅だ。

まだまだある。天下のガウディさんを舐めてはいけない。
町の中心部から少し離れた丘の上にはグエル公園がある。グエル公園はサグラダ・ファミリアに引けを取らない人気を誇る。訪問日の前夜にインターネットでチケットを買うことができたのは幸運だったのかもしれない。チケット購入はこちら。

高台からはバルセロナの象徴としてそびえ立つサグラダ・ファミリアもよく見える。

サグラダ・ファミリアの一部(生誕のファサード、地下聖堂)、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル公園はいずれも「アントニ・ガウディの作品群」として世界遺産に登録されている。
ガウディと並ぶモデルニスモ建築の巨匠にリュイス・ドメネク・イ・ムンタネーがいる。
ムンタネーの代表的な作品は「バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院」として世界遺産に登録されている。そんな偉人なのに、私はムンタネーのことを知らんかっタネー。
サン・パウ病院では2009年9月まで診療がおこなわれていたが、建物老朽化のため診療機能は隣接地の新病棟へ移転した。その後建物の修復が進められ、その一部が一般公開されている。

ムンタネーはバルセロナ建築学校の教授をしていた時期があり、その当時、ガウディも彼の教え子だったという。
ふと、管理事務分館の隙間から、約1キロ離れた場所にあるサグラダ・ファミリアが透けて見えることに気が付いた。

先生と教え子の共演なんて、素敵すぎる。
まったく、この仕掛けには驚いタネー。
(ム、ムンタネーさん、タネー、タネーとダジャレのネターにした無礼をご容赦願います)
旧市街
オーバーツーリズムが問題になるほど多くの観光客を引き寄せるバルセロナ。その魅力を語る上で旧市街を欠かすことはできない。
新市街と旧市街の境目にあるカタルーニャ広場は多くの人で賑わう。バルセロナ・エル・プラット国際空港とバルセロナ市街地を結ぶバスはこの広場を発着する。

旧市街の中で最も古いのがゴシック地区だ。
1298年から約150年かけて完成したゴシック様式のカテドラル(サンタ・クレウ・イ・サンタ・エウラリア大聖堂)が威容を誇っている。

石畳の道が続く旧市街はどこを切り取っても絵になる。重厚な建築物やそこに施された装飾などを見るのも楽しい。

市庁舎の前にあるサン・ジャウマ広場は何度も通った。

旧市街の街並みは夜も美しくて、飽きることなくあちこち歩き回った。

王の広場も見逃せない。1492年、アメリカ大陸に到達したコロンブスは、その報告のため、探検を支援していたイサベル女王とフェルナンド王にこの広場で謁見したという。

ピカソ美術館
たまには芸術鑑賞でもしようと、旧市街のボルン地区にあるピカソ美術館に足を運んだ。芸術に疎い私でも、さすがにパブロ・ピカソのことは知っている。
ピカソは14歳だった1895年から約9年間バルセロナで過ごした。少年時代には既に天才の片鱗を見せていたという。

展示室を進むと、徐々にピカソらしいキュビスムの絵が現れた。
1957年、ピカソが76歳のときに描かれた「ラス・メニーナス」が特に印象的だった。

旧市街の中にあるピカソが通った「クアトロ・ガッツ」も見に行った。

カタルーニャ語で「4匹の猫」を意味するこの店には、1897年から1903年までの営業期間中に多くの芸術家が通ったそうだ(現在の店は同じ場所に同じ名前で1981年に開店した)。
ちなみに、パブロ・ピカソ、サルバドール・ダリ、ジョアン・ミロは、20世紀美術を牽引したスペイン出身の三大巨匠といわれる。キュビスムのピカソ、シュルレアリスムのダリ、記号的なミロは互いに交流しながらカタルーニャ地方を拠点に独自の芸術を確立したそうだ。
カタルーニャには芸術家を生み出す風土があるに違いない。
スペイン料理
スペインには1日5食の食文化があるという。朝食、午前の軽食、昼食、夕方の軽食、夕食の5回。最も重い食事が昼食で、14〜15時と遅めにとるのが一般的。夕食の時間も遅く、21〜22時が一般的。
旅先では、よく歩き、よく食べる私。1日5食の国ということで、気兼ねなく食事を楽しんだ。
スペインといえば、バル。タパスやピンチョスなど軽くつまめる料理を提供するバルがあってこその1日5食なのではないか。
私も滞在中に何度かバルを利用した。ある日の朝は旧市街にあるサンタ・カタリーナ市場内のバルで定番のスペイン風オムレツやポテトサラダなどを食べた。

スペイン料理の代表格、パエリャも食べないわけにはいかない。作り置きのパエリャだったが、2種盛りでちょっと得した気分。

このパエリャを食べた「LA PLAÇA」はカタルーニャ広場に面した「El Corte Inglés」という百貨店の最上階にあるフードコート的な店。眺望がよく、日没前に行けば夕景を楽しむことができる。

バルセロナではスイーツも充実している。街歩きの最中に色々な店を覗いていると、当地ではクリームとチョコレートが好まれていることがよく分かる。
例えば、ホットチョコレート。旧市街にある人気カフェではチュロス、エスプレッソと一緒にホットチョコレートを食べた。何を隠そう、クリームの下にホットチョコレートが隠れているのだ。

ちなみに、日本にも出店しているカカオサンパカはバルセロナ発祥のショコラティエだ。
クレマ・カタラナも有名だ。クリーム好きの私はここでもクリーム(クレマ)を足した。まったくもって、バルセロナ滞在中はほっぺが落ちっぱなしだった。

バルセロナ最後の夜、1786年創業のCan Culleretesで夕食をとった。バルセロナで最古、スペインで2番目に古いレストランだ。この店ではカタルーニャの伝統的な料理を3品、ビール、デザートを堪能した。バルセロナを再訪することがあれば、この店には必ず行きたい。

備忘録として、スペインはオリーブの生産量が世界一であることを記す。
市場では様々な種類のオリーブが売られている。

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