【海外周遊の続き】セネガル→トルコ→中国→韓国→日本

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2週間の海外周遊手記の続きです。この記事では主にトルコのイスタンブールと韓国のソウルについて書いています。この記事で完了です。

愛すべきイスタンブール

ダカールからイスタンブールへ

2026年3月25日は4時過ぎに起床し、まだ暗い中、前夜に宿で手配してもらったタクシーでブレーズ・ジャーニュ国際空港へ向かった。セネガルでは何度もタクシーに乗ったのでタクシー代がかさんだ。

残念ながら、出国時も賄賂を要求された。当然ながら応じてはいないが、審査官(女性)の態度が高圧的で不快な気分になった。あれではセネガルの印象が悪くなってしまう。

ダカールからイスタンブールまではターキッシュエアラインズ(トルコ航空)を利用した。トルコ国営のフラッグ・キャリアだけあって快適なフライトだった。気が張っていたのだろうか、ろくに寝ていないのに目が冴えていたため、映画を2本も見てしまった。

イスタンブールまでの所要時間は約6時間半。時差が3時間生じ、日本との時差が6時間に縮まった。

イスタンブールで歩いて、食べて、また歩く

イスタンブールでは空港へのアクセスが便利な新市街の中心部に宿をとった。地下鉄での移動もこなれたものだ。

イスタンブールはこの周遊で訪れた他国の町と比べて、5,000~7,000円/泊の経済的な宿の選択肢が圧倒的に多い。競争が激しいのだろうか。宿代を抑えたい私としては大変助かった。一方、同様に比べて、食費は安くも高くもないが、日本と比べると高く感じる。日本は本当に安い国になってしまった。

復路ではイスタンブールに2泊を割り当てたので、1日はじっくりと見て回ることができる。どこへ行くか思案し、2日目にはまだ行ったことのない場所を目指した。

とりあえず、生絞りザクロジュースで水分補給。ザクロはエラグ酸などのポリフェノールやビタミンCなど栄養が豊富な果物だ。

それから、バスで旧市街のエユップ・スルタン地区へ向かった。

この地区にあるエユップ・スルタン・ジャーミィは由緒あるモスクで、イスラム教の預言者ムハンマドの弟子アイユーブ・アル・アンサーリーが祀られている。なお、アイユーブがトルコ語訛りでエユップとなるらしい。

エユップ・スルタン・ジャーミィを見学した後、墓地が並ぶ坂道をピエール・ロティの丘まで歩いた。ホテルやレストランなどを有するこの複合施設の中にあるテラスカフェが目当てだ。

そのテラスカフェは、19世紀末に活躍したフランス人作家のピエール・ロティがこの店でよく小説を執筆していたことから、ピエール・ロティのチャイハーネと呼ばれる。

テラスからはイスタンブールのヨーロッパ側を旧市街と新市街に分ける金角湾の絶景が望める。テラスから見ると、金角湾の右側・手前が旧市街、左側・奥が新市街で、金角湾にかかる4本の橋の中で最も中心部から遠いハリチ橋もよく見える。

ピエール・ロティのチャイハーネでは絶景を眺めながら、ライスプディングとハイビスカスティーを堪能した。中心部の喧騒から離れて、閑寂な時間を過ごすことができた。

ちなみに、ピエール・ロティは日本にも滞在したことがあり、日本に関する本を書いたほか、芥川龍之介などに影響を与えたという。

その後、同じ金角湾沿いの旧市街にあるバラット地区、フェネル地区へ足を運んだ。この界隈には石畳の道や色彩豊かな建物、おしゃれな店が点在し、インスタ映えスポットとして人気がある。

隣り合うこのふたつの地区はイスタンブールの中でも特に歴史が長く、オスマン帝国時代、バラットにはユダヤ人が、フェネルにはギリシャ人が多く暮らしていた。現存するユダヤ教のシナゴーグやギリシャ正教会がその歴史を感じさせる。

日が傾いてきたので、急いでフェネル桟橋へ向かった。

ここからフェリーに乗って金角湾を渡り、新市街へ戻るのだ。そして、フェリーのデッキで夕景を見る。ふふっ、我ながら名案だ。

カモメだろうか、黄昏時の空にたくさんの鳥が羽ばたいている。夕陽を背にモスクが美しいシルエットを描いている。完璧な情景に旅情をかきたてられ、しみじみと暮色を味わった。

フェリーがガラタ橋をくぐり抜ける際、橋上で釣りをする人々を見て気分が高揚した。

これがイスタンブールだ!

興奮冷めやらぬまま、新市街のカラキョイ埠頭で下船した。ボスポラス海峡の先に見える対岸はアジア側だ。

休憩のため一旦宿へ戻った。エレベーターの中で鏡に映る自分の顔を見たら鼻水が垂れていた。乗船中に風を浴びて体が冷えてしまったのだろうか。

再び街へ出て、前夜の散歩中に見つけたロカンタ(食堂)へ向かった。ロカンタではショーケースの中から食べたい料理を選ぶ。仕組みは簡単だが、どれもこれも美味しそうで料理を選ぶのが難しい。

毎日のように食べ過ぎていたので控えめにした。

夕食後は新市街の中心部を歩いた。疲れているはずなのに、足取りは軽い。

ランドマークになっている高さ67メートルのガラタ塔は赤くライトアップされていた。

イスティクラール通りは夜遅くまで賑わっている。ついトラムを入れて写真を撮りたくなる。

前夜食べたボレキというパイ風の料理が美味しくて、にわか好物になっていた。ボレキ愛が芽生えて、注意を払うようになると、ボレキ専門店があることも分かった。

この夜も、そして、翌朝もボレキを食べた。


翌朝の散歩では新市街から旧市街までガラタ橋を歩いて渡った。

ガラタ橋の上には朝から釣り人が並ぶ。イスタンブールを連想させる光景を前にして、この地を再訪できた喜びを感じた。

あまり時間がない中、金角湾を横目にそそくさと歩いていると、橋の欄干で寝ている1匹の猫を見つけて、思わず立ち止まった。

か、かわいい。

特に猫好きでもない私だが、この猫には癒された。

あぁ、愛すべきイスタンブール。

イスタンブールの魅力はとても語り尽くせるものではない。訪れる度に魅了され、再訪を願望することになるだろう。

いつか、また来る。必ず、来る、ニャア。

ソウルから帰国して旅を終える

イスタンブールから上海経由でソウルへ

2026年3月27日の午後、中国東方航空でイスタンブールから上海へ飛んだ。約10時間とこの旅で最長のフライトだ。

翌日の早朝、上海に到着。時差が5時間生じ、日本との時差が1時間になった。

乗り継ぎ時間は約7時間。搭乗口近くで2~3時間仮眠した後、レストランで朝食を済ませた。

上海から韓国のソウル(仁川)までは約2時間のフライト。ここで日本との時差がなくなった。

イスタンブールから日本へは直行便もあるが、高い。第三国を経由するのが経済的だが、乗り継ぎは1回にしたい。それなのに2回乗り継ぎするのは、ソウル→成田の航空券やソウルでの宿泊代を考慮しても総額が安かったからだ。

手配時にはソウルに寄るのも悪くないとも思った。しかし、イスタンブールを発つ頃は疲れていて、2回の乗り継ぎが億劫に感じた。乗り継ぎ時間も長いし、ソウルなんていつでも行けるし、早く日本に帰りたい…。などと内心思ってしまった。

それなのに、ソウルでもちゃっかりと楽しんだ。

ソウルで感傷的になる

1年半ぶりのソウル。この日は土曜日ということもあってか宿代が高かった。しかもチェックインが23時で、アーリーチェックインには追加料金が発生するという。23時まであと5時間もあるが、渋々バックパックを預けて街へ出た。

地下鉄の新堂(シンダン)駅近くの宿だった。美味しいコーヒーとスイーツを欲していたので、グーグルマップでカフェを探し、MAIL ROOM という店を選んだ。これが大当たり。

カフェ屋上のテラス席で日没のマジックアワーを過ごした。南山の頂上付近にあるNソウルタワー(旧名:南山タワー)と夕焼けを眺めていると、しんみりしてきた。

旅の終わりが近づいてきて、感傷的になっているようだ。

カフェで寛いだ後は周辺を歩いた。途中、ふと目立つ建物があった。

どうやら東大門デザインプラザ(DDP)という複合文化空間のようだ。この建物は「曲線の女王」の異名をもつ著名な建築家のザハ・ハディドが設計した。

夕食には好物のチャプチェを選んだ。食後にはまたあちこち歩いた。


翌日はいよいよ日本へ帰国する日だ。

朝、宿をチェックアウトし、バックパックを背負ったまま時間の許す限り歩いた。何日も前から足がパンパンだが、歩いて色々なものを見たいという欲求が止むことはない。

再び、東大門デザインプラザへ行ってみると、ひとりの女性がピアノを弾いている。なぜここにピアノが!?と思ったが、しばらく立ち止まって演奏に耳を傾けた。

何曲目かに葉加瀬太郎の「情熱大陸」が流れてきた。演奏を聴いていると、なぜだか目が潤んできた。

この潤いは旅が終わる切なさのせいなのか、それとも、2日後に迫っている退職のせいなのか…。旅の最中は目先のことに精一杯で、退職にまつわる感情を十分には整理できなかったかもしれない。ただ、それは時間が解決するだろう。

旅の終わり

ソウル(仁川)からは日本航空グループのZIPAIRで成田へ向かった。

2026年3月29日、17時過ぎ、予定通り成田空港に到着し、無事日本に帰国した。

退職前の有給休暇を利用した2週間の海外周遊が終わった。今まであちこち旅してきたが、今回のように短期間で目まぐるしく国が変わるような旅ははじめてかもしれない。疲れたが最高に楽しかった。

昨今の不穏な世情では、自由に旅することが当たり前ではなくなるかもしれない。だからこそ、訪れた土地それぞれで「今回限り」という意識をもって、全力で駆け抜けた。

この先いつまでも、誰もが自由に旅できる世界であることを切に願う。

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