【北海道】シャクシャイン法要祭でアイヌ文化に触れる

北海道
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この7年ほど、年1~2回、北海道を旅しています。毎回、新たな発見があって、どんどん好きになるので、北海道への旅はまだまだ続きそうです。

今回は、昨年(2018年)訪れたシャクシャイン法要祭について書きます。先住民族アイヌの文化に触れることのできるオススメの祭りです。

シャクシャイン法要祭とは

シャクシャイン法要祭とは

シャクシャイン法要祭とは、アイヌ民族の英雄シャクシャインをしのぶ法要祭です。

法要祭は、新ひだかアイヌ協会が主催し、シャクシャインの命日である10月23日のほぼひと月前にあたる秋分の日(9月23日頃)に、新ひだか町の真歌公園で開催されます。

2019年で73回目を数え、全道・全国からアイヌ民族の関係者やアイヌ文化に関心を持つ人々が集まります。

法要祭では次のような行事が行われます。

  • アペカムイノミ(火の神への祈り)
  • カムイノミ(神への祈り)
  • ハルランナ(餅まき)
  • アイヌ料理の提供
  • イチャルパ(先祖供養)
  • アイヌ古式舞踊、ポロリムセ(輪踊り)など芸能文化交流会

2018年の法要祭では、老朽化により撤去された旧シャクシャイン像に替わって、8月31日に設置された新シャクシャイン像の建立除幕式も行われました。

旧シャクシャイン像と新シャクシャイン像

新ひだかアイヌ協会のFacebookページに出ている写真を転載します。

旧シャクシャイン像は、高さ3.5メートル(杖の先までの長さは4.2メートル)の強化プラスチック製で、「風をはらんだマントを背に、山杖を右手にかざし、神の祈りを聞くシャクシャインの姿」を表現していたそう。

旧シャクシャイン像

新シャクシャイン像は、高さ約4メートルのブロンズ製で、「手のひらを上にしてオンカミ(拝礼)をする姿」を表現しています。

新シャクシャイン像

旧像と新像ではかなり雰囲気が異なります。像のデザインに関して、旧像を建立したシャクシャイン顕彰会と新像を建立した新ひだかアイヌ協会との間で意見の対立等があったようです。

シャクシャインの戦い

江戸時代初期、アイヌ民族は松前藩から搾取され続けてきたことで生活が困窮し、コタン(集落)の間で日々様々な揉め事が起きていました。

しかし、とある事件が起きて、アイヌ民族は松前藩への敵対感情を深めることになりました。

シャクシャインは蝦夷地に散らばるアイヌ民族に松前藩への蜂起を呼びかけ、1699年6月、それに呼応した多くのアイヌ民族が、松前藩に対して一斉蜂起しました。これがいわゆるシャクシャインの戦い(寛文蝦夷蜂起)です。

結果的に、アイヌ民族側は戦いに敗れ、シャクシャインは松前藩の策略で毒殺されました。

歴史マガジンの記事「シャクシャインの戦い:アイヌ民族と松前藩が対立した背景とは」のリンクをはっておくので、シャクシャインの戦いや時代背景等を詳しく知りたい場合はご参照ください。

【シャクシャインの戦い】アイヌ民族と松前藩が対立した背景とは
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行事の様子

法要祭の一部しか見ていない上、当時はブログを書くことを想定していなかったこともあって、限られた写真しか残っていないのが残念ですが、何枚か写真を載せておきます。

まず、シャクシャイン記念館内で行われたイチャルパ(先祖供養)の様子です。

独特の雰囲気の中で、アイヌの文化に触れることができました。

マスコミの取材も行われていました。

次に、新シャクシャイン像前の広場で行われた芸能文化交流会の様子です。

道内各地のアイヌ文化保存の活動団体が、かわるがわるアイヌ民族の古式舞踊やポロリムセ(輪踊り)を披露していました。

アイヌの人々は、儀式のときや親しい人が集まったときなどに、必ずと言っていいほど歌い、踊ったそうです。楽器は使わず、歌と手拍子だけで踊り、喜びや悲しみを身体で表現します。自分たちが楽しむだけでなく、カムイ(神々)や祖先に対して、敬意や感謝を捧げる意味もあるそうです。

アイヌ古式舞踊は、1984年に国の重要無形民俗文化財の指定を受け、2009年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されました

アイヌ料理

私にとって、法要祭で一番の楽しみはアイヌ料理をいただくことでした。

シャクシャイン鍋(具だくさんの鮭汁)、マチュプ(鮭の串焼き)、イナキビご飯などのアイヌ伝統料理が提供されました。

シャクシャイン鍋(具だくさんの鮭汁)
マチュプ(鮭の串焼き)

シャクシャイン鍋(お椀一杯)とマチュプ(串焼き一本)で500円。安いっ!

ボリュームがあったので、夕食が要らなくなるくらい満腹になりました。

自然の中に食糧を求めていたアイヌの人々は、多くの時間を食糧採集に費やしましたが、一度で採り尽くすことはせず、例えば植物などは必ず根を残して、次の年も採集できるようにしました。

明治以降は、本州からの移住者が増加したことによる環境の変化から、調味料を使用するようになるなど食文化は大きく変化していきました。

真歌公園

シャクシャイン法要祭の会場となる真歌公園は、シャクシャインのチャシ(アイヌの城塞、砦)があった場所です。新ひだか町アイヌ民俗資料館など、アイヌ関連の見所も豊富なので、法要祭に関わらず訪れる価値があります。高台にあるので、景色も良いです。

真歌公園の展望台からの眺め

新ひだか町アイヌ民俗資料館

新ひだか町アイヌ民俗資料館では、アイヌの歴史や民俗文化を紹介しています。イチャルパ(先祖供養)が行われるシャクシャイン記念館に隣接しています。

入場無料なのに、見応えがあります。

アイヌの人々は、動物や植物、火や水などのほか、生活用具など、人間が生きていくために必要なものや、病気など人間の力ではどうすることもできないものを「カムイ」として敬いました。そして、この世界は人間とカムイがお互いに関わりあい、影響を及ぼしあって成り立っていると考えていました。

アイヌの人々は、食べ物や飲み水が得やすく、災害に遭わないような川や海沿いの場所を選んで家を建て、コタン(集落)をつくりました。

コタンには数軒から十数軒の家が並び、村おさを中心に、周辺の山や川や海で、狩りや漁、農耕、植物採集を行い、自然の恵みを生かし、自然と共生した暮らしを営んでいました。

最後に、2018年、第72回シャクシャイン法要祭のパンフレットを入手したので、載せておきます。

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