今回は、先月の道東旅行で訪ねた日本本土最東端の納沙布(のさっぷ)岬と日本100名城のひとつ根室半島チャシ跡群について書きます。
納沙布岬(日本本土最東端)
納沙布岬は日の出が早い
納沙布岬は、離島を除く日本本土の最東端です。東の端なので、日の出が早いです。例えば、6月の日の出時刻は3時30分過ぎで、沖縄の那覇よりも約2時間早いそうです。
根室市によると、「納沙布岬は本土の平地では最も多い約310日、小笠原諸島の母島(ははじま)を含めても約230日、日本で最も早く朝日を見ることができる場所」です。
元旦には納沙布岬初日詣が開かれ、大勢の人々が集まります。
納沙布岬初日詣では、日の出前の5時からコーヒーやお茶などの無料提供、てっぽう汁(地元で採れる花咲ガニが入った汁)の販売などが行われます。6時20分頃から、ねむろ太鼓が披露され、6時50分頃、初日の出となります。
楽天市場で花咲ガニを買う納沙布岬で車中泊して日の出に備えたが・・・
旅人の心をくすぐる、日本の端っこ、納沙布岬で朝日を拝むべく、私は前夜、根室市内にある日本本土最東端の銭湯(みなと湯)で汗を流した後、真夜中の納沙布岬に行き、車中泊して日の出を待ちました。
横になり、うとうとし始めた頃、車外で何か気配を感じたので、起き上がって外を見ると、エゾ鹿の群れが目の前にいて驚きました。
7月とはいえ、夜間は冷えました。寒くてろくに眠ることができないまま、3時半頃には外が明るくなってきました。早い夜明けです。
前日から続くあいにくの曇り空で、残念ながら朝日を拝むことはできませんでしたが、日本本土の最東端で寒さに震えながら過ごした一夜は良い思い出になりました。
北海道最古の洋式灯台で、日本の灯台50選にも選ばれている納沙布岬灯台では短時間、後光が差したので、すかさず写真を撮りました。
納沙布岬から北方領土の歯舞群島までは最短3.7キロ
根室に来ると、ロシアによって実効支配されている北方領土問題の存在について思い知ることになります。何と言っても、すぐそこですからねー。
歯舞(はぼまい)群島は根室半島の沖合約50キロにわたって点在している島々で、択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島と合わせた、いわゆる北方四島のひとつになります。歯舞は四島全体の約2%の面積です。
歯舞群島の主な島は、秋勇留(あきゆり)島、勇留(ゆり)島、志発(しぼつ)島、多楽(たらく)島、水晶(すいしょう)島で、貝殻(かいがら)島は納沙布岬からわずか3.7キロの距離です。あまりに近い…。水泳が得意な人なら泳いで渡れる距離ですね(多分)。
晴れていれば、歯舞群島の近さをリアルに感じることができたはず…。
納沙布岬には、北方領土への想いが書かれた碑も点在しています。
この記事の執筆中に、納沙布岬から車で10分ほどの歯舞漁港から、納沙布岬や貝殻島灯台中間点などを巡る遊覧船が出ていることを知りました。詳細はこちらから。
根室市内の道路では「返せ!北方領土」と書かれた青い看板を何度も見ました。
北方領土問題について予習復習するなら、内閣府のウェブサイトが役に立ちます。
根室半島チャシ跡群(国指定史跡/日本100名城)
かつて、アイヌの人々はチャシと呼ばれる城塞・砦を作りました。北海道内で500ヶ所以上のチャシ跡が確認されていて、特に、根室、釧路、十勝、日高地方に多く存在します。
根室市内には32ヶ所のチャシ跡が残っていて、そのうち24ヶ所が根室半島チャシ跡群として国指定史跡に指定されています。また、㈶日本城郭協会が定める日本100名城のひとつ(城番号1番)にもなっています。
現在、根室半島チャシ跡群の中で、見学先として整備されているのは、ヲンネモトチャシ跡とノツカマフ1号・2号チャシ跡の2ヶ所です。
根室市観光協会のウェブサイトで、根室半島チャシ跡群を空撮した動画を見ることができます。
私はこの旅に出る前に書いた『シャクシャイン法要祭でアイヌ文化に触れる』という記事の執筆中に根室半島チャシ跡群について知り、訪問予定先に加えました。
ヲンネモトチャシ跡
納沙布岬から根室市街へ戻る途中、ヲンネモトチャシ跡に寄りました。ここに行くぞ!と気にしていないと、うっかり見落としてしまいそうな場所です。湯根元(おんねもと)漁港のそばです。
駐車場からチャシ跡まで、200メートルほど、草原の中を歩きます。早朝ということもあり、誰もいませんでした。
6時を過ぎても、日本の端っこの空を包む雲は晴れず、雨が降ったり止んだり。納沙布岬灯台のとき同様、後光が差した一瞬の隙を逃さず、写真を撮りました。
チャシには城塞や砦としての役割があったとされ、概ね見晴らしの良い高台に作られました。ヲンネモトチャシ跡からは湯根元漁港が一望できます。
晴れていれば、歯舞群島の距離の近さをリアルに感じることができたはず…。残念無念!
ノツカマフ1号・2号チャシ跡
ノツカマフ1号・2号チャシ跡はヲンネモトチャシ跡から車で10分くらいの場所にあります。
1789年、和人(松前藩)に搾取されたアイヌ民族が和人71人を殺害するクナシリ・メナシの戦いが起きました。松前藩はこの戦いに関与した37人のアイヌ民族をノツカマフの地で処刑しました。
当時、ノツカマフはこの地方の中心地でしたが、この事件をきっかけに、現在の根室港周辺に中心地が移ったそうです。
駐車場からチャシ跡まで、5分ほど、草原の中を歩きます。ここにも人っ子ひとりいませんでしたが、1匹のキタキツネに出合って癒やされました。
草原には色とりどりの花々が咲いていました。
ノツカマフ1号・2号チャシ跡のある牧之内地区には、旧海軍飛行場滑走路跡など、チャシ跡の他にも様々な文化遺産があるようです。
北方原生花園
最後に、時間があれば寄りたい場所として、ヲンネモトチャシ跡とノツカマフ1号・2号チャシ跡の間にある北方原生花園を紹介します。
北方原生花園は日本本土最東端の原生花園で、6月下旬~9月上旬にかけて約100種類の花々が咲き誇ります。
朝、誰もいない木道を歩いて、とても爽やかな気分になりました。
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