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先月(2019年7月)、北海道を旅した際、根室半島にある納沙布岬を訪れました。
これにより、次に挙げる「自由に到達可能な日本の東西南北端」すべてを訪れるという宿願を果たすことができました。
- 最東端:納沙布岬(北海道)
- 最西端:西崎(沖縄県 与那国島)
- 最南端:高那崎(沖縄県 波照間島)
- 最北端:宗谷岬(北海道)
先端、先っぽ、端っこ…日本語は豊富な語彙で旅人の心をくすぐります。
この記事では、旅した当時のメモと写真を基に、4つの旅を簡単にまとめました。
島国ニッポンの最先端に立ち、目の前に広がる大海とその先にある異国に思いを馳せる感慨は最果ての地ならでは。
場所によっては訪れるのに多少の苦労が伴うこともありますが、日本の最果てを目指す旅はいかがですか。
日本の最東端:納沙布岬(のさっぷみさき)
この地は、2019年7月に訪れました。旅の記事があるので、よろしければご覧ください。
日本の最西端:西崎(いりざき)
この地は、2014年11月に訪れました。
西崎は日本最西端の島、与那国島の西の端にあります。条件によっては、約111キロ先にある台湾が見えます。国境の島ですね。
与那国島は石垣島から約127キロ、沖縄本島から約509キロ、東京から2000キロ以上も離れているので、はるばる来たなぁと感慨もひとしおでした。
最西端なので、夕陽が沈むのは日本で最後です。
与那国島では、原付を借りて島中を走り回りました。
島の南側では陸上自衛隊の基地(与那国駐屯地)の造成が行われていました。約2週間後(2014年11月16日)に沖縄県知事選挙が控えていたこともあり、島のあちこちで基地への賛否を主張するのぼりなどを見かけましたが、反対の方がかなり目立っていました。自衛隊がやって来たら島の雰囲気も変わるだろうなぁ…と思ったものです。
この旅の3ヶ月後、2015年2月には「陸上自衛隊の沿岸監視部隊約150人と沿岸監視レーダーの配備の是非」について島内で住民投票が行われました。投票率は85.7%で、賛成632票、反対445票、無効17票という結果でした(住民投票に法的拘束力はない)。
2017年2月、自衛隊員と家族(計約250人)の転入により、与那国島の人口は約9年ぶりに1700人台を回復しました。人口の約15%が自衛隊関係者ということですね。
調べてみると、終戦直後の与那国島は台湾との密輸で活況を呈し、人口は12,000人を超えていたそうです。以降、島の人口は減り続け、2016年2月末の人口は1490人でした。
今年(2019年)3月には宮古島にも陸上自衛隊の宮古島駐屯地が開庁し、石垣島でも陸上自衛隊の配備に向けた準備が進んでいます。
この旅から約5年。沖縄本島での辺野古への普天間基地移設問題も然り、沖縄を取り巻く状況が厳しくなっていることは常に気がかりです。
日本の最南端:高那崎(たかなざき)
この地は、2018年11月に訪れました。
日本最南端の有人島、波照間島には波照間空港がありますが、2008年11月を最後に定期就航便はなく、2019年8月現在、同島へのアクセスは石垣島離島ターミナルから出ている定期船に限られます(具体性には乏しいものの、定期航空便就航の計画はあるようです)。
加えて、その船便がよく欠航するのです。冬季には北風の影響で欠航率が50%を超える月もあるくらいです。そのため、この記事で紹介している4つの端っこの中で、高那崎はアクセス難易度が最も高い場所といえるでしょう。
2009年から日本の離島巡りを続けている私としては、この「果てのうるま(サンゴ)」への上陸はずっと切望していました。実際、これ以前にも何度か渡航計画は立てたものの、天候やスケジュールの関係で断念し、八重山諸島の別の離島を訪れたこともあります。
島内に信号機はなく、バスもタクシーも走っていません。集落は昼間でも静寂に包まれています。
高那崎の近くには星空観測タワーがあります。竹富島によると、明かりが少なく気流も安定している波照間島は絶好の天体観測地で、国内で最も南十字星をはっきり見ることができます。
1963年に1400人以上いた島の人口は、2019年現在、500人あまりにまで減っています。
この小さな南の島を、宿で借りた自転車に乗って、のんびり回りました。
山羊がめぇめぇ言いながら草を食んでいる光景に出合いました。南の果ての草はうめぇかい?
(竹富町のウェブサイトから転載)
日本の最北端:宗谷岬(そうやみさき)
この地は、2013年9月に訪れました。
この記事で紹介している4つの端っこの中で、宗谷岬は最もアクセスしやすい場所だと思います。
とはいえ、個人的な話をすると、この旅では、台風の影響で稚内発の復路便が欠航となりました。
翌日の稚内発便は満席のため、急遽、日本最北端の鉄道駅、JR宗谷本線の稚内駅から列車で札幌へ6時間かけて移動しました。札幌(新千歳)発便もなかなか席が取れなかったのですが、深夜に出た空席を押さえて、翌日、新千歳から羽田に戻りました。
稚内にはタラバガニの貿易関係者などロシア人も多く、街中の標識などに併記されたロシア語もよく見かけました。
この旅では、日本最北端の有人島、礼文島(れぶんとう)、利尻富士が印象的な利尻島(りしりとう)も訪れました。
当時のメモに、「礼文、利尻の両島への玄関口である稚内港からは、サハリン(樺太)へ行くフェリーも出ている」とあります。これはハートランドフェリー社運航のサハリン航路(稚内⇔コルサコフ)のことですが、残念ながら、この航路は2015年9月に廃止されてしまいました。
同じくメモに、「宗谷岬からは、40キロあまり先のサハリンがうっすらと見えた。いつか行ってみよう」とあります。先述のサハリン航路が廃止されたこともあり、サハリンへの渡航は実現していません。
「礼文島と利尻島では大勢の中国人観光客の姿を見かけた」とのメモもあります。調べてみると、この2013年は、訪日外国人の数がはじめて1000万人を超えた年です。インバウンド消費が一般に注目され始めた頃ですかね。
この旅では、約10年ぶりに北海道の地を踏みました。
以降、毎年1~2回、北海道を旅しています。
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