【沖縄】復興応援!火災後の首里城を訪れた

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2019年10月31日未明、首里城で出火原因不明の火災が発生し、正殿など6棟約4000平方メートルが全焼しました。

火災の約半年後、新型コロナウイルスが世間を騒がせている中、人知れず沖縄を訪れた私は、首里城にも足を運びました。

この記事は、そのときの記録です。

ゆいレールの儀保駅から首里城公園まで歩く

新垣カミ菓子店

気持ちの良い晴天の中、ゆいレールの儀保駅から歩き始めました。

まず、前回(首里城火災の1週間前)訪れた、新垣カミ菓子店を再訪し、ちんすこうや花ぼうるなどの琉球菓子を買いました。新垣カミ菓子店の紹介記事をつけておきます。

玉那覇味噌醤油

地図を見ると、玉那覇味噌醤油が近くにあることが分かったので、立ち寄りました。

琉球王朝御用達の味噌蔵だった玉那覇味噌醤油は、160年以上4代にわたって、天然醸造で熟成させた本物の味噌を作り続けています。玉那覇味噌醤油のウェブサイトはこちら

那覇市役所の近くにある、味噌めしや まるたまでは、玉那覇味噌を使った料理をいただくことができます。オススメの店なので、紹介記事をつけておきます。

龍潭(りゅうたん)

玉那覇味噌醤油から首里城を目指して歩くと、雰囲気の良い水辺が現れました。1427年に作庭された人工池、龍潭(りゅうたん)です。翌月は端午の節句で、鯉のぼりが風に揺れていました。

龍潭は、魚小堀(イユグムイ)とも呼ばれるそうで、たくさんの魚や亀がいました。

琉球王朝時代、龍潭は、琉球第一の名勝地ともいわれたそうです。
静謐な雰囲気がとても気に入りました。軽食を持参して、ピクニックするのも良さそうです。

第32軍司令部壕跡

龍潭を抜けると、戦争遺跡がありました。第32軍司令部壕跡です。

第二次世界大戦末期、第32軍司令部壕は、沖縄守備隊(第32軍)の司令部として、首里城の真下に築かれました

全長1キロ以上に亘るこの壕内には、軍首脳以下、約1000人が生活していたそうです。そして、当然のごとく米軍の標的となり、1945年4月に首里城は焼け落ちました

沖縄県は、第32軍司令部壕を「沖縄戦を象徴する存在」だとして、1993年に本格的な調査を開始し、1996年に公開することを決定しました。しかし、崩落の危険性や整備に要する多大な費用などの課題があり、一般公開は実現していません。琉球新報の関連記事はこちら

火災後の首里城公園を歩く

首里城公園マップ

首里城5度目の焼失

2019年10月31日未明、出火原因不明の火災によって、首里城の正殿など6棟約4000平方メートルが全焼しました。これは、1453年、1660年、1709年、1945年に続く、首里城の歴史上、5度目の焼失です。

あの火災は本当に衝撃でした。ただの沖縄好きの私でさえ涙が出るほど悲しくなりました。地元の人々の衝撃と悲しみはいったいどれほどのものだったのでしょうか…。

先述した1945年4月の焼失後、1989年から本格的に復元が進められ、2019年1月、30年に及ぶ復元事業が完了したばかりだったという背景を思うと、首里城の数奇な運命に切なさを覚えます。

首里城の再建に向けて

5度目の焼失からの再建に向けては、2020年に基本設計などに着手し、2022年から本格的な再建工事を開始し、2026年に正殿の完成を目指して動き始めています。

再建される日を、心から楽しみに待っています。

那覇市のウェブサイトに出ている「首里城火災に対する支援金」についてはこちら

火災後の首里城公園(城郭外)

さて、ここからは火災後の首里城公園を歩いた記録です。

まずは、守礼門。首里城のシンボルで、二千円紙幣の表面にも描かれています。

守礼門

二千円紙幣は、2000年7月19日、西暦2000年と沖縄サミット(第26回主要国首脳会議)開催を記念して発行されました。
存在を忘れてしまうくらいに見かけない二千円紙幣ですが、この紙幣に縁のある沖縄では比較的多く流通しているようです。


守礼門をくぐって少し歩くと、左手に世界遺産の園比屋武御嶽石門があります。国王が首里城から出かけるとき、この園比屋武御嶽石門で道中の安全を祈願していたそうです。

園比屋武御嶽石門

2000年12月、首里城跡や園比屋武御嶽石門など沖縄本島の9ヶ所が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
先述の沖縄サミットといい、西暦2000年は沖縄にとって特筆すべき年だったのですね。


さらに進むと、首里城の城郭内に入る第一の正門、歓会門があります。

歓会門

火災後の首里城公園(城郭内)

城郭内に入り、瑞泉門などいくつかの門を抜けると、火災で半焼した奉神門があります。
奉神門の向こう側に、火災で全焼した正殿などがあります。復興に向けて作業しているクレーン車の首が見えます。

奉神門

京の内付近から、火災現場が少し見えました。


京の内の物見台からの眺めです。

京の内の物見台からの眺め

分かりにくいですが、この風景の中に金城ダムがあります。警備員の方が、金城ダムは洪水調節のためのダムで、那覇市街地を流れる安里川の氾濫を防止するために造られたと教えてくれました。


林の中を歩いて、西のアザナへ進みます。西は「イリ」と読みます。西表島(いりおもてじま)と同じ読み方ですね。アザナは展望台という意味です。

ちなみに、東のアザナの東は「アガリ」と読みます。

西のアザナからは、那覇の市街地や港、その先の水平線上には慶良間諸島も見え、首里城が見晴らしの良い高台に築かれたことがよく分かります。

西のアザナからの眺め

公園内にはハブも生息しているようです。

5度目の焼失からの復興に思いをはせつつ、首里城公園を後にしました。

首里城復興モデルコース

参考までに、内閣府沖縄総合事務局や沖縄県などが策定した、首里城復興モデルコースという散策路があります。30分、60分、120分、150分の4コースはこちらで確認できます。


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金城町の石畳道を歩く

日本の道100選

首里城公園の散策後、金城町の石畳にも足を延ばしました。ここは「古都首里の石畳道」として日本の道100選にも選ばれています。

舌を巻くような情緒たっぷりの風景です。

琉球王朝時代、この辺りは士族の屋敷町だったそうです。

パワースポット

推定樹齢200年以上といわれる大アカギも拝んできました。人気のパワースポットだけあって、神秘的な雰囲気に包まれています。

最後に

首里城再建支援箸袋(本部町の飲食店にて)

今回、久しぶりに首里城を訪れました。周辺を含め、楽しく歩くことができました。奥が深い場所なので、再訪したいです。

また沖縄への愛が深まりました。
火災からの復興、正殿などの再建を楽しみにしています。


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